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Ryo Hara

新卒の就職は最初に開くドア選び


週刊東洋経済6/27号

東洋経済のWEBにこんな記事がありました。

(東洋経済オンライン) 「学歴フィルター」なるものが存在し、採用窓口に差がつけられているという話題。

本誌も買って読んでみましたが、自分が大学生だった頃といろいろ事情が変わってるようで、それ自体は興味深かったです。

学歴だとか、就職だとかについて、あれこれ書き散らしてみたいと思います。

1.入試の偏差値で見える不器用で努力不足なヤツ 企業が、学歴での選び方をベターと捉えているのなら、それはあちらが望んでいることなので、その損得は置いといて、ご自由にと思います。 強いて偏差値社会に乗っかったものの見方をすると、法政って時点で、早慶に入った学生さんより、明らかに努力してない(あるいは、器用さに劣る)がために、低い結果しか得られてないわけで。 もちろん、「学びたい師や学問領域が、早慶ではなく法政にあったんだ!」という選択で法政に来たのなら話は別ですが、多くの学生が「偏差値の高い大学=いい大学」だという、謎のヒエラルキーの中で、いまいる大学に収まっているのなら、まぁ、頂点ではないですねと。 自分を振り返っても、受験勉強なんて、ちゃんとやってなかったし。

興味を持ったとこだけマニアックに学んだりして、それがテストの点数に効率的に結びつきゃしなかった。英語の文型や単語の語源をあれこれ分析してみたり、日本史の疑問点を、仮説を立てながら百科事典や研究者の文献を開いて調べてみたり。

もちろん、そのときの勉強のスタイルは、大人になってからいろいろ役立ってますが、それを、受験の点数には結び付けられなかった。

そういう勉強をして、かつ、結果としてテストの点数も高く、早慶あたりにでも合格できてればかっこよかったんでしょうけど、そもそもサボりながらやってたもんで、そこまではたどり着けなかったし、なんとなく、MARCHあたりに収まれば御の字かなぁってな意識もあったような。

努力もせず、器用さに欠けた人間が、法政にかろうじて補欠で入れてもらえたわけです。

要は、偏差値社会での競争に、まじめに参加してないわけです。

学歴で選ぶ企業さんからすれば、もっと器用で、地頭がよくて、ゴールに向かってまっすぐ、まじめに努力する人をほしいでしょうから、そしたら偏差値社会の上位層を狙ったほうが、手っ取り早いです。

2.大学のカリキュラムが占める位置 器用さとまじめさの差が、大学に入ったあとの勉強でも差を生むのは、想像に難くないでしょう。

ただ、最近の大学は、いまと事情がいろいろと異なるようで、入試をかいくぐったあとの学生さんの成長は、大学にある環境次第という点が、昔より比重を増しているようにも思えます。

東洋経済の本誌の記事にもありましたが、いまは浪人をせず現役で入るのが当たり前。予備校はあるものの自由にブラブラできた浪人生に比べ、高校の延長ですぐに大学に入る現役生のほうが、大学の授業はまじめに受けるでしょう。

とある活動で、自分よりずっと下の学生さんに、「授業なんてサボってこっちの活動にもうちょっと力を入れてみては?」とかしかけたら、「授業サボっていいわけないでしょう!大人のクセに何言ってんですか」と怒られたことがあります。なかなかの衝撃体験でした。

学生さんと活動をともにすると、彼らが最優先するのは授業の時間。ここはどうしても抜けられない。

自分の時代の大雑把なイメージですが、入学してゴールデンウィーク明け早々に授業をサボり出すのは、私のように、ふまじめな浪人生活を経験した文系学部生で、いまはそういう学生さんはほとんどいないのではないでしょうか。

高校時代から重役出勤(?)を繰り返し、授業を抜け出して学校の上履きのままラーメン二郎で並んだり、友人たちとやっていた同人誌サークルの会誌の製本にいそしんでいた自分は、彼らからすれば異次元に違いありません。

彼らは、大学のカリキュラムに従って過ごす時間が長く、裏を返せば、大学で受ける教育(「教育を受ける」などという受け身な表現が大学に適しているのかはよくわかりませんが)が、彼らの大学生としてのスペックを決める大きな要素なのではないでしょうか。

就職に強いと評判の某地域のとある国際系の大学では、とにかくカリキュラムが厳しい。授業が英語だったり、留学が必須だったりで、半数が4年で卒業できないそうです。

この大学では、超大手の商社やメーカーが、学内で就職説明会を開きにやって来たり、一般の採用活動がはじめる前に内定が出されていたり。ここの学生さんたちは、巷で言われる「学歴フィルター」よりも、さらに手前でフィルターをくぐり抜けているのではないでしょうか。

早慶MARCHでも、学部だけではなく、ゼミや研究室によっても、鍛えられ方はさまざまでしょう。さらに、キャリアセンターの支援だったり、OB・OGも含めた人的ネットワークの厚さも、学生さんの意識の置き方を変えていくはずです。

この辺の事情は、接した学生さんから得られる聞きかじりな情報くらいしかないので、これ以上は論じようがないのですが、こうしたところもフィルターにかかるようであれば、学生さんが4年生になってからジタバタして、格差だなんだと叫んでみても、手遅れ感は否めないでしょう。

3.学歴フィルターの決定要因としてのOB・OG

採用担当者の人たちは、当然、過去の採用実績からも「学歴フィルター」をかけてくるでしょう。業界によって就職に強い大学が違ってきたり。

となると、いまその企業、業界で働いている母校の卒業生たちの活躍ぶりも、「学歴フィルター」の決定要因になりうる存在です。フィルターをくぐれない母校の後輩たちを嘆くなら、卒業生である自分が、会社内や業界内での評判なりポジションなりを、上げていく必要があるでしょう。

うちは、父が青山学院、兄が中央だったので、さしづめMARCH一家で、「MARCHの子はMARCH」みたいなしょうもないフレーズが頭をよぎるわけですが、ここで、ちょっと脱線して、父の進学と就職を見てみたいと思います。 父は昭和20年代後半の大学生なので、まだ大学に行く人が少ない時代でした。安保闘争すらはじまっていません。そんな時代に青森から東京の私大、しかもおそらく当時、東北ではほとんど知られていなかったであろう青学に進むなんて、変わり者にもほどがあります。

うちは祖父の代まで、津軽で商人をやっていた家系で、祖父は大学に進学する意味なんて、もちろんわかりようがありません。商業高校でそろばんを覚えて働けくらいにしか言ってなかった祖父を、学校の先生が説得してようやく、大学進学を許されます。彼は早稲田に入りたかったそうなのですが、現役で失敗して、最初は弘前大学文学部に進みます。

しかし、津軽のじょっぱり魂が働いたのか、戦後民主主義の自由を謳歌したかったのか、それでも早稲田をあきらめず、受験に関係しそうな英語の授業だけ頑張って、仮面浪人を決め込みます。

ところがどっこい。二度目の早稲田の入試の日に東京の学生にカツアゲにあってしまい、気が動転したまま試験に失敗し、滑り止めで受かった青学へ。青学でも最初は文学部だったものの、途中で経済学部に転部します。

当時にしてはだいぶ自由に動いている印象ですが、就職は地元に戻り、開局まもないラジオ青森(現在の青森放送)に入社します。青森放送は、地元では「RAB」という略称で知られていますが、これは「Radio Aomori Brouadcasting」の略で、テレビ放送がはじまる前の社名の名残です。

RABがテレビ放送を開始するのが昭和34年で、父はこのとき入社4,5年目くらい。NHKや日本テレビが地上波の放送をはじめたのが昭和28年なので、全国的にもまだまだ黎明期です。

浪人して早稲田に落ちて青学に進み、マスコミへ就職という道を、昭和30年ごろに進んで行ったのは、なかなか先駆的な立ち位置です。大学の同窓会だかで、後輩にあたる人たちに、「先輩方が青学からマスコミに進む道を拓いてくれた」と感謝されたことがあったそうで、嬉しそうに話してくれたことがあります。

これからも新しい業界はできていくでしょうから、OB・OGが業界そのものを切り開き、後輩たちの先鞭をつける役割もあっていいでしょう。

4.新卒の就職は、最初にあけるドア選びでしかない 新卒での就職は、社会に出るために無数に並んでいるドアを、どっから開くかみたいなもんだと思っています。

そのドアからでしか進めない道もあるかもしれないし、開けた先に道がなくて、勝手にあちこち進めちゃう大地が広がっているかもしれない。んなもん、開けてみないとわかんないし、あるはずだった道が急にふさがったり、途中で抜け道を見つけたり。

そして、開けたあとの歩き方は千差万別。人生とは、その歩き方で徐々に定まっていくもんだろうから、最初のドア選びであまりナーバスにならずとも、、、とは思います。 それまで縁のなかった会社に何十社もエントリーするような就職活動というのは、大げさに言えば、見知らぬ人の家のドアをかたっぱしからノックして、中に入れてメシを食わせろと言ってるようなもので、そもそも簡単に入れっこない。 どこのドアがどう開くかなんて、運みたいなところも大きいでしょう。

開こうと思ったドアが、目の前に立つことすら許してくれないのであれば、別なドアから出て、入れなかったドアから伸びてる道に、途中から飛び移りゃいいわけです。 その企業に入ることで、いわゆる「中の人」になりたかったけど、かなわなかった。そうだとしても、その企業に外から関わる仕事の仕方だって、いくらでもあります。外部の協力者として、自由なポジションを維持しながら、中の人たちに重宝されるほうが、働き方も収入も恵まれるなんてケースもあるでしょう。

人生も仕事も、最初のドアをくぐった瞬間にすべてが決まるもんじゃありません。

受験の競争も大学での学びも、OB・OGのネットワークも、ドアの向こうで縦横無尽に走れるようになるための武器に変えていくセンスこそ、賢く、たくましく生きていくために必要な力なのではないでしょうか。 そういう議論が、東洋経済の記事に登場する企業の採用担当者や学生さんから出てこないことや、結局、どの大学や付属校に進学させるのが得なのかといった話で収束させてしまう週刊東洋経済のスタンスが、なんとなく心配です。 東京でわーわー騒いでいるうちに、いずれ改革を遂げてとんがった人材を輩出するようになった地方大学が、MARCHなんぞさっと追い抜いていくんじゃないでしょうか。

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